令和4年より、曾祖父井口正之が編纂した渋沢栄一氏の大著「青淵百話」を繙き、100話の講演を行います。
1話30分~90分程度です。(2~3時間のワークショップもございます)
商工会・大学・高校・中学校で講演を行っております。
企業研修・合同企業研修の実績がございます。
偏愛マップは、明治大学齋藤孝教授が考案されたツールです。
偏愛マップは、すぐに仲良くなれるツールです。
大好きなことを質問されるので、嬉しくてついつい饒舌になります。
大好きなことを話し合った仲なので、次に会った時にも、親近感が湧きます。
「自分らしさ」が再発見でき、「雑談」の資源になり、すぐに人と仲良くなれるツールという点で使用しております。
是非、一度、体験ください。
「偏愛マップ」に関する齋藤先生のご著書を、ご紹介しておきます。
巨人戦を観るために東京で生活するのだという思いで明治大学に入りました。
先輩の影響で、大学野球やラグビーの応援もしましたが、東京読売巨人軍応援団の門を叩いたのは、大学1年生の秋(シーズン終了間近)のことです。
東京読売巨人軍応援団では、連絡責任者・リーダー長を経て全国の会長補佐という役職を務めさせて頂いたと言えば、どの位、巨人が好きかおわかりになると思います。
阪神の応援団と酌み交わしたり、セリーグの応援団会議で名古屋まで出向いたり、他球団の応援団とTV出演したり、他球団の応援団とも仲良くさせて頂いたのも、楽しい想い出です。
学生時代から、イベントが好きで、中畑清選手、川相昌弘選手、吉村禎章選手、水野雄仁投手、岡崎郁選手、宮本和知投手、元クリスタルキングの田中雅之さんなどを招いた会でも、何回か司会を務めさせていただきました。
東京では、いろんなところで遊んでいましたので、紅白でお見かけした方々とも何人も交流させて頂だきました。
お話しさせて頂いた歌手や俳優たちがTVで出演しているのを観て、抱いた夢や希望を心に刻み直し、夢を現実に近づけております。
そのような環境にあったにもかかわらず、(歌は好きでしたが、)習いたいとか、あの人のように歌いたいとか真剣に考えたことはありませんでした。
実は、声に興味を持ち始めたのは、応援団に入って何年か経った後です。
新宿の高層ビルの下で行われたホールズの「大声大会」でゲスト出演させて頂いた時は、ゲストで一番大きな声を出しました。
その翌年、TBSの素人の歌番組で最優秀賞を頂いた時にもまだ、「声は、遠くに飛ばせば良い。そのためには、高い声で腹に力を入れれば良い。」と位にしか思っていませんでした。
「言霊」を大切にする今では考えられないほど「無鉄砲な男」だったのです。
様々なことに挑戦し、夢を実現し続ける男であり続けます。
学生時代NHKスポーツ部でアルバイト。日本テレビ・フジテレビに出演。
社会人になってからは、日本テレビ・TBS(東京放送)・フジテレビ・テレビ朝日・テレビ東京などに出演させて頂きました。
報知新聞、愛媛経済レポート等にも写真付きで掲載して頂きました。
キー局だけでなく、愛媛のTVや新聞等でも積極的に取材を受けております。
声に興味を持ち、定年後は、「歌手」か「ミュージカル俳優」になれたらという夢を持ち始めた頃、足かけ13年務めていた銀行が破綻してしまいました。また、劇団四季で舞台俳優をしている親戚の影響で、小学校の時から、数百本のミュージカルを観劇しておりました。
小学生の時に観た「ウェストサイド物語」に感銘し、ミュージカルが好きになりました。ミュージカルに興味を持っていた私は、知識を持っているというだけで、ある演出家に引っ張られ、新宿の劇団の演出補をさせて頂いたのが演劇界へのデビューです。親戚を始め、数々のベテラン俳優たちから色々な話をお伺いしたことや、故浅利慶太氏や故ジャニー喜多川氏の研究をしたことで、「お客様のために」基本的な考え(マーケティングでいうところの「顧客志向」)が自然と構築されました。また、観るたびに感想を用意しておかないといけない環境にあったことで「駄目だし上手」「褒め上手」の資質が形成されました。
東京都港区において、「ミュージカルワークショップ優」を設立しました。最初は港区を中心とした素人だけの集まりでしたが、ベテラン俳優である友人が次々と力を貸してくれたので、あっという間に大きくなりました。現在は、休んでおりますが、この事業計画は、第2期えひめベンチャー起業塾で優秀ビジネスプラン賞を受賞しました。再開する予定です。東京と松山で…
先ずは、ことばのちから松山市で「日本のこころを後世に残したい」という思いで、「株式会社朗読」を立ち上げました。
株式会社 朗読
東京相和銀行で、預金業務・融資業務・新店舗設立準備員を経験した後、営業(渉外)を経験。
支店統廃合も本店営業部、横浜支店にて経験。
人事部・業務本部・事務集中部・融資・テラー・出納と銀行全般の業務を経験。
銀行破綻を機に、経営コンサルタントとして独立。
銀行での経験はもちろんのこと、破綻後、経営の勉強をしながら行ったアルバイトに、社会の底辺から会社を見直すことができ、現在のコンサルティング活動に役に立てています。
学生時代に働いた電気屋の孫請け会社では、いろいろな信託銀行や証券会社を覗かせて頂いたこと、その他にもNHKスポーツ部・酒屋・配線工事・清掃会社・蕎麦屋・配送・引っ越し・バッティングセンター・ゲームセンター・印刷屋・マーケティング調査・家庭教師・飲食店・製造業・輸入業・テレマーケティング・派遣会社・スカウト会社・PR会社などの数々の経験が、コンサルティング・講演・研修等に役立っております。
大学時代は、仙川・荻窪・春日(後楽園)・池袋に住み、明治大学の駿河台校舎には自転車通学をしていました。(費用をかけてでも時間の確保を考え始めたのはこの頃です)
銀行員時代も、船橋・荏原・西川口・千住と、寮の建て直しや売却などで、転々としました。浜松町・田町では、自宅兼事務所とし経営コンサルタントを行っておりました。
銀行での勤務先も、渋谷・池袋・駒込・川崎・飯田橋・赤坂・新宿・横浜・二俣川・荏原・千駄木・梅島・赤坂見附と異動し、色々な場所で、様々な企業や様々な生活を見ることができ、また、新店舗開設や店舗統廃合等、他の人は経験させてもらえないようなことまで、本当に、貴重な経験を得ることができました。
新しい店を発見することが好きで、友人と遊ぶときにも、「一寸、寄って行こう」と誘い、店舗や品揃え・新商品に興味津々。見聞を深めております。店主や店員がお手隙そうだなと思ったら、積極的に声を掛け、店を褒め、裏話を聞き出します。人との交流、見知らぬ方と親しくなることが、楽しくてたまりません。
今考えれば、上記のような経験が、コンサルタントの資質づくりには良かったと考えております。
「営業・マーケティング・人事労務」をアドバイスする銀行員として成績を上げさせて頂いたことは、現在のコンサルティング業務に相通じます。
私は、「人(社長)の悩みを解決すること」や、「人と人とを結びつけること」が、とにかく、好きなのです。
仕事でも、私生活でも、色々な経験を積んでおります。それが、経営コンサルタントに結びついたことは、「木本康聖の趣味」で紹介しております。興味ある方は、覗いて見て下さい。
仕事柄、経営者や人事部長とお話しする機会が多く、「人」の問題について相談を受けております。
普段から、大学生と話す機会を多く設けており、就職の相談を受けます。逆にそれを、社長や部長の悩み解決に役立てております。また、新人研修等にも活かしております。
大学時代は、経営分析では松本穣教授、マーケティングでは徳永豊教授の下、勉強しました。
銀行入行後も、通信講座・社会人向けの講座等で勉強し、銀行破綻後に、社会人向けの講座や専門書で、経営学・マーケティング学を体系的に学びなおしました。
現在も、明治大学坂本恒夫教授の講義や様々なセミナー等に参加し、切磋琢磨しております。 マナーに関しては、就活のカリスマ講師「坪田まり子」教授の講座で、常に新しい技術を身につけるよう努力しております。
所属する「日本中小企業・ベンチャービジネスコンソーシアム」「きもと経営研究会」「愛媛県中小企業家同友会」「東京中小企業家同友会」等で、日々精進しております。
仕事柄、経営者や人事部長とお話しする機会が多く、そこで、相談されることが「人事関係」です。 学生と話す機会を多く設け、就職の相談を受けます。また教授やジョブカフェ愛workの方々と情報交換をさせて頂いた結果、社長や部長の悩み解決に繋がっております。
経営理念・マーケティングに加え、営業指導・人事・報奨制度の確立などを行っております。
営業研修・新人研修・講演を行っております。
明治大学や愛媛大学や松山大学等の学生と話す機会を多く設け、結果、就職の相談を受けます。それが、社長や人事部長の悩み解決に繋がっております。また、新人研修等にも活かしております。
下記の3つの教えこそ私が「基本」を大切にする理由です。
社会人になる時、この様な言葉を、頂きました。
マーケティングやP.ドラッカーの組織論を学んだ学生時代、東京読売巨人軍応援団のリーダーを務めた20代30代から「お客様のために」と常に考えることで自分のものにしてきました。
曽祖父井口正之が1年半早朝から夜遅くまで男爵渋沢栄一氏につきっきりで、百話にまとめ、渋沢栄一氏が筆を入れ、3年かけて「青淵百話」の編纂を行いました「青淵百話」は、面白く、腑に落ちます。渋沢栄一男爵は、P.ドラッカー氏に影響を与えています。私は、学生時代から、ドラッカーを軸に経営を学んで来たので渋沢栄一氏の考えも私の躰に入って来たのでしょう。SNSを通じご連絡を頂いた同文館出版社の社長をおたずねし、その縁で、渋沢栄一史料館井上館長を訪問することが出来ました。青淵百話を繙き、一話一話を、現在の経営に当てはめた講演を行うことにしました。